強迫症から見える世界 人には分からない気になって仕方がないこと

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強迫症のこと。前回の続きを。

自分自身の今の環境とかストレスとか仕事がうまくいっているかとかそういうことが、強迫がひどい時、緩い時に影響しているなと感じることがある。


現実世界が、ひどい時。疲れすぎていたりすると、私はもうそんな確認なんていいや、それより今、目の前のことに必死すぎて逆に気にならない。みたいなそんな勢いの日もあったりする。



コンロの火からはじまって、クローゼットの電気が消えているか、とか暖房のスイッチが消えているか、とか外の洗濯物をしまう時に窓の鍵をちゃんと閉めたか、とか
行ったり来たりして何度も確認しちゃう自分に落ち込むことも何億回あった。

あった、というか今もそんな日常だ。


あぁなんで分かっているのに確認しちゃうんだろう。だんだん悲しくてイライラして涙が出ることもある。


細かいことで言えばもっとある。お風呂に入った後にお湯がぽた、ぽた、となっていないか、とか。

コンタクトを外した時にケースにちゃんと入っているか気になって何度も蓋を開け閉めしたり、とか。

普通に人からすると、あの人何やっているのかと思うこともわかるからそれもストレスだったりする。どうしてこうなのか、と。




私は身内に強迫症の人がいる。こういう症状が自分に多くみられ始めた頃、その人のことを思い出して相談したことがあった。

それで1回病院へ相談してみたらと言われ町のメンタルクリニックへ行ったのだ。

今でも覚えているけど、人生で1番強迫症状がひどくなったり無気力状態になったのは
歯科助手を初めて数ヶ月経った頃。


慣れない環境に自分でも想像を超えたストレスがかかっていたのだろう。パンクしてしまい、休日はずっと布団にいる生活だった。ぼーっと干された洗濯物が風で揺れているのを見て何をするわけでもなく時間が過ぎるのを待つ、そんな日々だった。


何にもないのに涙が流れてきたり、悲しくてなんだかよくわからない気持ちになっていた。

最低限のことをして、あとはずっと布団で動画をぼーっと見る生活で、だんだんその時にあぁどうにかしないとまずいな、と思ってクリニックへ行こうと思った。

ネットで調べて、近所じゃない電車に乗らないと行けない所へあえて行った。

もしクリニックの人と顔見知りだったりしたら絶対嫌と思ったから。



私は、結局2回行ってそれ以降は行かなかったのだけど、自分のことを先生に話した時に涙がポロポロ流れてびっくりしたのをよく覚えている。

年配の先生は、私の話を静かに聞いてくれた。

次来る時は何が気になるのか、とか今までの細かい経緯を書いてきてねと言われて書いて持っていたりもした。2回通って、もういいかなと思ったのは、行くことすら面倒になってしまっていた当時の気持ちとあとは結局は自分でなんとかするしかない、と思ったから。


でも病院で診てもらうことがどんな感じなのか知れたのもすごく良かった。

合う合わないがあると思うし、クリニックへ通うことがベストの人もいると思うけれどその時の私は別のところを探そうとも思わなかった。


その身内の人は薬をずっと飲んでいるとのことだったけれど、私は薬を飲むと抜け出せない感じが自分でなんとなく分かって薬を飲むということにそれも嫌だった。


それから、そういう確認強迫のある自分と付き合っていかねばならぬことを受け入れて今日に至る。

やっぱり毎日疲れちゃうけど、こんな自分と生きていくのに慣れてきた、というのが正直なところかも知れない。 進むペースは遅いし、変わっている自覚もある。

確認している自分は理解されないとも分かっているから人に隠しちゃう。

受け入れることが完全にできたわけではないけれど、こんな自分でもいいのかもと思えてきた。そう思えるにもだいぶ時間がかかった。



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